ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ビンゲンのヒルデガルト)
1098年生―1179年没
ヒルデガルト:ヒルデガート~丘を守る人という意 ビンゲン~ドイツの地名
中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長。
「中世ヨーロッパ最大の賢女」とも言われる。
神学者、説教者、宗教劇の作家、伝記作家、言語学者、詩人。
古代ローマ時代以降、最初の女性作曲家とされる。
1098年生誕 | 神聖帝国のドイツ王国で地方貴族の10番目の子として生まれる。 |
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3歳 | 「とても大きな光を見た」幻視体験。 |
5歳 | 母牛のお腹の中にいるまだ見えない子牛の姿を言い当てた。 |
8歳 | 貴族の娘達のための修道院学校に預けられる。 ラテン語、読み書き、計算、礼拝、聖書の勉強をする。 |
15歳 | 正式にベネディクト派修道女となる。 修道院では自給自足のため、庭仕事や畑仕事、衣類の仕立てなどもしていた。 |
38歳 | 聖女ユッタが亡くなり、後継者としてヒルデガルトが新しい修道院長に選ばれる。 |
42歳 | 昼夜を問わずヴィジョンが見え、聞こえたことのすべてを書き下ろすようにと神からの啓示を受ける。著書「道を知れ」を執筆。自らの幻視体験を初めて公にした。 ※ヒルデガルトは幼年期から絶えず病気に苛まれ、いつも床に伏し、歩くことができるのも稀だったと言われている。40歳から活躍するようになった。 |
49歳 | ローマ教皇エウゲニウス三世がヒルデガルトの著書を調査し、キリストの名において司教の賛同のもと、彼女のヴィジョンを「認め、許可する」と告げた。 教会の歴史上、初めて女性が「書くこと」を許され、それを公にして良いと教皇の文書に記された。この頃から宗教曲の作詩作曲を始める。 |
52歳 | 彼女の名声により各地から修道女が集まり、新しい修道院を建設する。博学物、治療学の書を著した。 |
60~72歳 | ドイツ王国各地で説教旅行を積極的に行う。67歳で別の修道院を購入、再建し、貴族でない女性も受け入れられるように整えた。 病に苦しむ人を大勢助け、多くの人々は救いと助言を求めて彼女を訪ねる。 薬草の知識を自分の修道院の薬局をすべての病人のために解放した。 |
81歳 | 1179年9月17日の夜、ビンゲンのルーペルツベルク修道院で亡くなる。 ※当時では平均寿命が30歳、60~70歳まで生きる人は稀と言われた時代に80代までヒルデガルトは生き、自らで教えを示した。 |